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Perfumeに特化した音楽ブログ/音楽に特化したPerfumeブログ

第52回 松尾潔さんの「マカロニ」評が素晴らしい!その2


[1/27]【連載】松尾潔のメロウな歌謡POP 第4曲目 - mora トピックス

 
前回の続きです。
松尾潔さんの「マカロニ」評について書きましたが、そもそも松尾さんのテキストは、誰もがすんなりと理解できるように書かれているのでなおこういう文章にするためには、熟練した技術と知恵が必要)僕があれこれ言うのも無粋の極みですが、さすがのご指摘や、凄みを感じた記述を抜粋引用させていただきます。
 
・Fm7→Gm7→Cm7という、〈AORではわりとポピュラーなコード進行〉が循環している
 
・トラックは装飾的ではなく、引き算で表情を演出
 
ノンビブラート唱法でフレーズの終わりを短く手堅くまとめている
 
テクニカルで的確な分析です。Perfumeの記事で、ここまで掘り下げて音楽的分析をしているものは少ないはず。
なお、これらの要素を受けて〈禁欲的な雰囲気も生まれ、主人公カップルは性行為におよんでいないのではないかという妄想をかきたてます。〉という、若干物議を醸しそうな表現もありますが、いやこれだって大事なことですよ!! 松尾さんが専門とするソウルやR&Bヒップホップは性愛についての詞も多いはずですし。

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◆サビ~大サビの分析

サビの「これくらいのかんじで いつまでもいたいよね」というフレーズについて、
まずメロディとしてのすばらしさ。「これくらい」の「く」から「ら」にかけての跳躍度の高いメロディには、何度聴いても心を揺さぶられます
 
この部分で、そういえばヤスタカって良いメロディー書くな!と改めて気付いた次第です。そして松尾さんはヤスタカの詞にも注目。
 
・サビ始めの「これくらい」は曲の進行に応じて「どれくらい」と変わり、いったん「これくらい」に戻り、一転「わからない」と着地する。ほら、こうやって4つを並べるだけで恋愛の諸相を語りつくすことができるでしょう?
 
・この一見平易な4つの言葉を等間隔に配することで生まれる深みこそが歌謡POPのケミストリー

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ヤスタカがそこまで考えているのか、ちょっと疑問はありますが、ここまでで、ほぼパーフェクトな評論ではないかと思ってしまいます。しかし松尾さんは、〈最も高い体温を感じさせる箇所〉であるという大サビ〈最後のときがいつか来るならば それまでずっとキミを守りたい」〉に託された心情までを読み解きます。圧巻です。
 

◆C.R.I.T.I.C.

いかがでしょうか。松尾さんの評論を読んでからもういちど「マカロニ」を聴くと、それまでとまったく違った聞こえ方がするはず。そしてその評論は、以下の2点で鮮やかに締め括られます。

1:中田ヤスタカ〈ポップ・ミュージック的知性〉と、それが〈ストリートワイズ〉であること
ストリートワイズは、教条主義的な知識ではなく、場数を踏むことで体得した知恵、って感じでしょうか。

2:「マカロニ」は(よく言われる)Daft Punkだけでなく、TotoBoz Scaggsユーミンとも繋がること

〈1〉は松尾さん流のポップ・ミュージック論のひとつ。〈2〉はサウンドの共通項を軸にした音楽論であると同時に、こんな曲も聴いてみてはどうかな?というレコメンデーションでもあります。
 
Perfumeと「マカロニ」の〈どこに惹かれたか、なぜおもしろいと思ったか〉の分析を経て、音楽そのものや、その楽しみ方について、読者の価値観や感性を広げる。こういう評論や批評の機能が、現在の音楽文化の発展に大きく寄与してきたはず。
というか松尾さんのこんな文章を無料で読めてしまうって、とんでもないことになってますね。

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↑2014年に上梓された松尾さん初の著書。超面白いですよ!

◆批評の対極にあるもの

以上、松尾さんの「マカロニ」評論で綺麗に終わる……ところですが、ここから先も書きます。このブログを始めるとき、いつかは書きたいと思っていたことです。
 
現在、Perfumeについて書かれているテキスト(で、いわゆる商業的なもの)はWebでも雑誌でも、以下のような論調が目立ちます。

Perfume、たった3人でドームの5万人に完全勝利!〉

確かにステージに立っているのは3人だけど、Perfumeは3人だからじゃなくて、ヤスタカやMIKIKO先生たちもいるからこそ凄いはずなのに……
 
Perfumeは、お互いの思いやりで生きてきたグループ〉
〈お互いがその感情を共有しようとする、その気持ちがPerfumeの核〉
3人の関係性の話、好きな人も多いですよね。でも3人の関係性は3人にしかわからないはずという大前提が、なぜか存在しなくて、自分の見たいもの(だけ)をPerfumeに見い出すことは、はたして健全でしょうか……
 

◆K.I.Z.U.N.A

基本的にPerfumeファンの方々は、曲が好きだし、メンバー3人のキャラクターが好ましいから、応援しているのだと思います。でもそれがいざメディアに載ると、やれストーリー使命だ、謙虚美脚お辞儀が長いファン想い向上心アイドルなのにロックとか。

それらはPerfumeのキャラクターを愛で、〈消費〉しているだけとも言えます。またそれらの要素は自己実現の表れ〉でもあるので、一部のファンは自己実現願望をPerfumeに投影しているのではないでしょうかだから応援していて非常に心地良いし、Perfumeがやることは全部最高!となる。
 
その一方、各メディアでPerfumeの音楽性をしっかり評価し、それを更新していこうという取り組みは多くありません。まあ、この期に及んで音楽性を評価したところでお金を生むわけでもないし、それよりもキャラクターを押して行こう!となるのも道理ではありますが……
 
そもそもいまだにPerfume=テクノ or テクノ・ポップという紹介も多いですが、少なくともいま〈テクノ〉と呼ばれているサウンドとはまるで違う(テクノの要素もなくはないけど、もっとエレクトロ・ハウス~エレクトロ・ポップ寄りです)し、いわゆる〈テクノ・ポップ〉だったのは初期だけです。〈ピコピコしてる音楽なら全部テクノ〉という大雑把すぎる認識は、40年近く前からあると思われます。
 
この片手落ちにはいろいろな要因が考えられますが、メンバーが音楽については深く語れない(からどうしてもPerfumeそのものや個人、関係性についての話になる)し、ヤスタカが2008年の日本武道館公演くらいから、Perfumeの音楽についてほとんど語らなくなったのも大きな要因でしょう。

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日本武道館直前のNHK特番では、ヤスタカもPerfumeについて語っていたのですが……

中田ヤスタカPerfumeな日々

ヤスタカがPerfumeを通して取り組んできたことは、やっぱりおもしろいです。Perfumeの楽曲は、ヤスタカのメイン・フィールドであるダンス・ミュージックの美味しい部分を都度いただきつつ、独自のアウトプットを模索することで、ポップ・ミュージックとして常に更新されてきたと思います。
 
特に2010年以降はEDMブームという大波が欧米に押し寄せており、それとの距離感の取り方も語り甲斐があったはず。
またサウンドや歌詞の変化からは、そのときどきのヤスタカのモードが窺えるはずだし、ダンスと楽曲の関係性がどう変わってきているか?だって大きなテーマになりえます(なおこれは振付師の竹中夏海さんが著書「IDOL DANCE!!!」で触れて下さって、すごく嬉しかったです)。
 
 
まだまだPerfumeの音楽だって語り尽くされてはいないのに、
 
Perfumeは夢と光の戦士!〉
〈「Dream Fighter」はPerfumeそのもの!!〉
 
みたいにはしゃいでいるだけのメディアを見ると、落胆を禁じ得ませんし、音楽ジャーナリズムとは対極の方向にファンを誘導しているようで気になってしまいます。
 
松尾さんの素晴らしい評論をきっかけに、もっとたくさんの方(やメディア)が、それぞれの観点でPerfumeの音楽について発言してくれることを願っています。
こんなグループ、もうたぶん出てこないでしょうから……
 

追記